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銀塩はスーパーアナログ(オーディオ)に遠く及ばないのか?

高校・大学と実はかなりオーディオにはまっていた時期があって、大学時代にCDプレーヤーが発売されたり、VTRと組み合わせて使うPCMプロセッサーなども発売されていた。

時代はアナログからデジタルへとシフトし始めた頃で、その一方、アナログの可能性を追求しようと、従来のアナログを超えた“スーパーアナログ”と言う言葉と手法がもてはやされた時代でもあった。

私自身、PCMプロセッサーを導入しつつ、スーパーアナログにはまるという、楽しい大学時代でした。スーパーアナログは実質、レコードがターゲットの技術で、より広帯域の再生などを目指していました。

また、技術的にはハイテクよりローテクがもてはやされて、例えば、レコード盤を押さえるためのスタビライザーの中に、“バキュームスタビライザー”と言うのがありました。これはターンテーブルのふちにゴムが着いていて、レコード盤を乗せた後で、間の空気を抜いて真空とし、地球の大気圧そのものを持って重石とする。そういう代物でした。

ターンテーブル自体も軽量化の方向から重量化の方向へ向かい、数キロあるのが普通でしたね。軽いのはそれだけで安物じゃないかとw

そんなターンテーブルを回すモーターは強力無比でなければならず、結果として振動源になってしまう。ならば、その振動を極力伝えないためには、モーターとターンテーブルは糸を輪にしてテンションを持たせて回転力だけ伝わるようにすればいい。また、電源も半端なものではダメなので、バッテリーが良いとか。

一般家庭に供給されているAC100Vは実はかなり汚れているので、AC100Vでモーターを回して、そのモーターで発電機を回して、AV100Vを作り直したほうが音が良いとか。

まぁ・・・レコードがCDに置き換わっていく時代には、そういうことをやってた訳です。

レコード→CDの図式は銀塩→デジカメと同じように良く扱われます。

でもね・・・銀塩保守派の人たちって、上記したようなことをやったことが1つでもあるのかな?シノゴやバイテンに行く?たったのそれだけ???

オーディオでのアナログ保守派はスーパーアナログと言う一つの時代を築き上げたのは間違いないと思います。銀塩にそういう時代が有ったか?それともこれから来るのか?そのどちらも無いように思うのは私だけでしょうか^^;

レコード時代の保守派って保守するために新しい時代を開いちゃった行動力があったけど、銀塩の保守派ってただ時代の移り変わりのスピードが遅くなってくれることを他力本願的に祈ってるんじゃないかと。

もちろん、銀塩派にも先進的な人も居ますが、大雑把に捉えるとこんな傾向が有るんじゃないかと^^;

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銀塩」カテゴリの記事

コメント

ヒロさん

話題が横道にずれたり、意見が違ったりするのは全然構わないですよ。昔、写真関係のメーリングリストに入ってて、「お勧めレンズを教えてください」みたいなタイトルで始まったのが、数時間後には全く別の話題・・・撮影地のマナーの話になってたり・・・なんてことが良くありましたから。
結論を求められる会議とかじゃないので^^;

伝統的なものも、もちろん大切で、否定してしまっては元も子もないですよね。
でも、それはそれとして、そこに留まってられない性分みたいで、「人と同じ」じゃないことがしたい訳です^^;
恐らく、子供時代をNYで過ごしたのとか影響してるんでしょうね。
人種も言語も宗教もみんな違うから、日本人の横並び意識とまた違ってるんですよね。
「写真とはプリント出来るものだ」と、ある人に言われたことがあります。なるほど、良い言い回しだと思います。そして今私が目指しているのが印画紙に表現できない物の方向が確かにあり、それが「写真では無い」と自分でもおもうのも事実です。
たぶん、一番しっくり来る最終形態はiPadの類なんだと思いますが、iPadだと画面がまだ足らないんです。25インチくらいになると良いんですが、それだと持ち運べないし、そういう時代が果たしてやってくるのか?ちょっと疑問もありますね。

投稿: 村田 一朗 | 2011年6月 3日 (金) 17時02分

村田さんのコメントの意図からは少し外れたコメントを書いて
しまいましたが、「伝統」の時代も経験の上で「革新」路線を
走っておられる村田さんならではの「何か」が飛び出すのを
楽しみにしております。
携帯用アプリもそうですが、必ずしも印画紙を最終形体としない
写真表現もあるような予感がしています。

投稿: ヒロ | 2011年6月 2日 (木) 16時21分

ヒロさん

銀塩時代と言うか、カラーポジ時代はヒロさんが言うように、表現に全力をあげていたと思います。よく言われる「シャッター切るまでが勝負」みたいな。
ただ、時代をもっと遡って、モノクロになると、自家現像・自家プリントが当たり前でしたから、むしろ今と良く似てるんじゃないかと思ってます。私もモノクロは自家現像・自家プリントしてましたので、撮る時点で、これはこう言う仕上げをしようとか、こう言う仕上げをしたいから、こう撮ろうとか。思考回路が似てるんじゃないかと。一番違うのはデジタルだとやり直しが出来るのと、再現性が(手順とかの)得やすいことだと思います。モノクロだと基本、手作業でしたから。
カラーの時代は、実質、ポジの時代だったので、現像・プリントはラボ任せとなって、シャッター切るまでが・・・みたいな世界観が出てきたんだと思います。
デジタルで私が今やってることって、ポジの考え方とはずいぶん異なってきてしまって、方法論がずいぶん主力になってきてしまいました。時々、立ち止まって考えないと、入れ物ばっかり立派で、中身の無い作品になってしまうので気をつけないとですねw
銀塩がデジタルに対して有意差のある表現って、立体感とか空気感だと思うんですが、系統だって創っていくのはかなり大変でしょうね。それをやるためには山岳や風景だとクリアな撮影条件や光線条件が必須ですが、条件がまず揃いにくい^^;


Deep skyさん
私の星景はガラパゴス化しちゃってますからね^^;私も今後どうなるのか良く判りませんが、発表したときにはビックリさせたいですね。

投稿: 村田 一朗 | 2011年6月 2日 (木) 10時29分

村田さんの目指すデジタル星景に期待しています。
次はどんな写真を発表されるのか楽しみにしています。

投稿: Deep sky | 2011年5月31日 (火) 13時11分

村田さん

個人的な私の印象ですが、銀塩時代の写真家は表現のための
感性の練磨に全力をあげてきたのではないでしょうか?
フィルムの改良やプリント画質の向上など企業がやれることはあった
と思うんですが。
翻ってデジタルは写真家自身がやれることが大幅に増えたような
気がします。それに伴い表現内容も飛躍的に拡大されたような印象
があります。そしてデジタルになって技術のウエイトが大きくなった
ような印象もあります。
極論すれば技術がそのまま表現になっているような形式も出て
くるのではないでしょうか。

おそらく銀塩の大家の方々はデジタルが自在に操れたとしても
やはりフィルムを選ぶような気がしますね。表現の志向性という
意味において。
村田さんのように理系の頭脳をお持ちのカメラマンはデジタルという
方法論に見事に合致されて、デジタルならではの表現方法を開拓
されていくような気がします。もはや従来の写真とは別物と言っても
過言ではない表現形式がどんどん出てくるような気がします。

部外者の私としては旧来の銀塩とデジタルのそれぞれに魅力を
感じておりますが、表現者としてのカメラマンがはっきりデジタル
を選択されることは表現の方向性を明示されていることに他ならない
のだと感じています。見る側の私としては「フィルムならでは」と
「デジタルならでは」に注目したい気持ちです。

投稿: ヒロ | 2011年5月28日 (土) 19時12分

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