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写真展めぐり

3/3の日曜日に写真展めぐりをしてきました。どっちかと言うとトークショーめぐりだったんですが。

銀座で仕事をした後、新宿でやってた「私的写真集選手権」へ。普段、ギャラリーとかでどう組むか?と言うのは考えるんですが、写真集とかは機会が無いので。

特に編集サイドの話が聞けたりで貴重でした。

友人が2人、展示をしてたのでそれを見たかったと言うのも有ります。

次に行ったのがフジフィルムがやってた「絶対風景」。

ここのところ、ここの展示は超巨大プリントが。今回も畳数畳分・・・中には数十畳分のサイズ。

原版サイズが6x4.5からあそこまで伸びるもんなんだ。と改めて感心。

一旦デジタル化して処理してるから出来るんだと思うんですが。

まぁ、フジフィルムがプリント技術低かったら困りますしね。

その後、古巣の山岳写真同人四季の写真展へ。

今回は会場に恵まれてて、カラー・モノクロの展示以外に、組み写真での展示までありました。これだけ揃えるのは大変だったんじゃないかなぁ。

「私的写真集選手権」は殆どポートレイト。後の二つは風景と山岳。

ポートレイトの世界じゃ新しい試みとかどんどん行われているのに対し、風景や山岳は見たことが有る写真ばっかりというのが、素直な感想。

あ、絶対風景のサンピラーは見ごたえありましたよ。サイズも良かったし。絶対風景はああいう作品だけを集めたらよかったんじゃないか?と思うんですが、撮れる人が居ないんでしょうね・・・。

四季の方はトークショーで星を取り上げてたんで、星の作品を期待してたんですが、やっぱり古い印象しか受けませんでした。

私が昔四季に居たころに、居たTさんが当時撮っていた星の写真の方がずっと先進的で印象的な写真だったもんなぁ。10年以上も前の話ですが。

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コメント

ヒロさんへ

返信遅くなってすみません^^;

自分の姿勢がはっきりしてるのは、各雑誌社の編集部に鍛えられたからだと思いますw
どの編集部も良い誌面を作りたいと言うスタンスが良く伝わってくるので、こちらも最善を尽くさないと。

物質性にかんしては、確かに和紙と言う、多少デコボコした物にプリントする程度ですよね。写真家の場合。

それにしても、和紙を撮影して、それを和紙にプリントアウトすると言う発想は持ってなかったです。面白い発想ですよね。それを何層か重ねてみたくなります。
和紙自体が何層か重なった物ですし、厚さの有るデータを、厚さの無い物として出力すると言うのも良いチャレンジかもしれません。

そう言う重ねるって言う部分、私もヒロさんも良く似てますよね。そして、1回1回、1枚1枚が大切なのも。

デジタルを始めたころ、キャンバス地の様な用紙にプリントアウトしたり、絵画調のレタッチをやってみたり、随分とやったのですが、私的にはどうしても納得がいかず、結局、そういう方向を全て捨ててしまいました。
この辺は銀塩と同様のやり方に、有る意味、退化させてしまったわけです。
ただ、こういうものと言うのは、1つ1つ検証して、取り入れるか?取り入れないか?自分で納得してやっていくしかないと思ってます。
もしかしたら、将来、もう一度、用紙を選んで作品を作ると言うトライを再びするかもしれませんが、今はプリントアウト以前の段階で悩んでいるって感じですかね、私の場合。
そう言えば、B2のパネル張りになったキャンバス地にプリントされた写真を1枚だけ飾ってます。それなりに気に入っているのですが、他の絵柄でプリントをしてもらえないので、有る意味踏みとどまってるのかもしれません(あるフォトコンテストの賞としてプリントしてもらったので、発注が出来ないんですw)

投稿: 村田 一朗 | 2013年3月 8日 (金) 21時38分

やはり村田さんの言葉にはチカラがありますね。
写真家としての姿勢がはっきりと伝わって来ます。
村田さんのスタンスがよくわかりました。

物質性に関しては、和紙を使ってもやはり平面には違いない
ので質感がイメージを強化したとしても、やはりピュアなイメージ
表現であることには違いはないと思います。私が写真に憧れ
を持つのはその点です。

美術家の場合は、例えばリンゴをあらゆる角度から撮影して
それを貼り合わせて立体にしたり、写真にドローイングしたり、
写真の一部を切り取って穴を開けたり、トタン板のように波打
たせたり、写真を単に素材として扱う場合が多いですが、私は
やはり写真家のピュアなイメージ表現が好きです。
私が和紙にプリントすることを前提に作品を構想するなら、和紙を
克明に撮影して、それを和紙にプリントするでしょうね。和紙に
和紙の写真をプリント。(笑)

あと、ひとつおもしろいなと思ったのは
私も重層的な作品を手掛けていますが、1000回重ねたとしても
1回の重要性に変わりはありません。そのあたりは共通するなと
感じました。

投稿: ヒロ | 2013年3月 7日 (木) 08時13分

ヒロさんへ

確かにデジタルに完全移行してますが、銀塩時代と同等の撮影をしていない訳ではないんです。
デジタルの良さを生かして、HDRを基本に撮影するとかは私の撮影スタイルになっていますが、HDRを用いずに1枚だけで仕上げる事もしています。
これは主に仕事用で、カメラやレンズのテストレポートでは加工してしまうと趣旨に反してしまうからです。
で、問題なのは、1枚だけで仕上げた時に、「使い物にならない」と失格な訳ですw

「村田 一朗」と言うブランドがデジタルの後処理まで含めた作品作りを得意としつつ、従来の1枚写真でも作風や被写体で魅力が有る・・・必要が有るわけで。

ちょっと足かせかな?と思う部分も有りますが、そこから新しい芽が出てきたり、他の後処理を考えた時に例えばHDRの欠点が出るので基本1枚写真で使える物を撮れる必要が有ったり、と、やっぱり基本の写真を普段から撮っておく必要は感じています。

ただ、ヒロさんが言うような内面的な変化を求めて・・・と言うレベルじゃないですが^^;


写真の世界でも物質性に着目し、和紙へのプリントとかは、特にデジタルになってからメジャーになりました。
ただ、私の場合には和紙の質感が合わないので(面白いとは思うのですが)やってません。
意外に思われることが多いのですが、私はプリントをしないので、その辺の欲求が低いってのもあるんでしょうね。
和紙へのプリントとか拘ると、雑誌掲載とかは却って面倒ですから。


表現内容と表現手法は、私の場合は表現内容が有るんだけど、上手く表現できない。で、新しい表現手法を考えて、表現したい。
と言うのが基本的に有ります。ただ、表現手法を確立している間は、そっちに力を取られて、表現内容までしっかりとやれてませんが^^;
今の私は、「肉眼で見えないスローシャッターの世界をどうにかしたい。」で、手法的な物をあれこれ考えてるわけです。

ちなみに「星の王子様」手法は、良く「虫の目」「鳥の目」と言われますが、「宇宙の目」なんです。これでイメージは何となくわかるかも?

投稿: 村田 一朗 | 2013年3月 7日 (木) 05時53分

村田さんはデジタル完全移行を宣言された写真家ですから
従来の写真表現とは異なった立ち居地で、今後もデジタル
ならではの新しい表現領域を開拓されて行かれることと思って
おります。昨年の講演では村田さんのポリシーというか、意気込み
を強く感じました。

その対極というか古典的な写真表現にもまだまだ可能性は残
されていると私は思っています。おそらくそれは表現者の内的
変化というか新しい言説の創出が必要だと思います。
新しい価値感というか・・・

この二つの写真表現の今後が外野席の私は気になるところです。
私も素人ながら写真をかじってはいますが、物質性を廃したピュアな表現が写真であるがゆえにその難しさを痛感しています。
美術の場合は素材感に助けられることも多いですし、素材感を
武器にしている面もあります。
そういう意味でフラットな表面の写真は、数ある芸術表現の中でも
特異な存在であると感じます。

ところで、作品表現には表現内容と表現手法が共存していますが
私自身は表現手法そのものが表現内容になりうることもあると思っています。
それは実に根幹的な表現で哲学的な視点になると思いますが・・・

またまた長くなってしまい失礼しました。
「星の王子様」手法、拝見できる日を楽しみにしております。

投稿: ヒロ | 2013年3月 6日 (水) 10時03分

ヒロさんへ

こちらではお久しぶりですね。

風景や山岳は定番の撮り方と言うのが銀塩時代に確立されすぎて、それから外れる事が悪い事のように思われてる節もありますからね。
写真は撮影・現像・プリントと3ステップ分で1セットなのに、ポジフィルムの普及で撮影までで完結させるのがプロや上級者と言う誤った?認識が出来てしまい、それがデジタルになっても引き継がれてると思ってます。

ピンぼけ写真、一時期流行りましたよね。今は逆アオリでぼかした写真が流行って・・・すたれていく時期ですかね。
今後は宙玉写真が流行ってくるんだと思いますが。
こうしてみると ボケ がキーワードなんですかね。
日本人が思っている ボケ と言うニュアンスは海外には無く、海外でも boke として定着しているようです。out focusとは別の元として。

プリントの巨大化はプリント技術の向上も貢献しているんでしょうね。写真のプリントが版画的なのは、私も感じています。
ただ、本来の版画はプリントサイズを最初から決めているのに対し、写真はプリントサイズに対しては漠然と撮影することが多いと思いますが。

見かけの表現方法ではなく、内面的なものの表現として新しいものを出していくのは本当に難しいと思います。それが正解だとは思いますが(内面的な物を新しくしていく)、精神的な物ゆえにアイディアや技術ではカバーできませんしね。
私の場合は見かけの表現方法の新しさに手伝ってもらって、どうにか新しい表現が出来たら・・・と言うところです。

今は手法的な物を開拓する時期なんだと思ってまして、それを自在に使って、ゆくゆくは自分の内面を出していければ・・・と思ってます。
道具の使い方を覚えている・・・って感じですかね。

前に話した「星の王子様」手法もそのうちに誌面でお見せしたいと思ってますので、お楽しみに^^

投稿: 村田 一朗 | 2013年3月 5日 (火) 17時39分

村田さん、こちらへは久しぶりにコメントさせていただきます。
写真展めぐり、お疲れ様でした。
おっしゃるように風景写真で新しい試みというのは少ないと
言うか難しいのでしょうね。特に山岳写真はセオリーを崩すのが
難しいと感じます。翻ってポートレイトや静物写真にはいろんな
斬新な表現が見られますね。アート系よりも圧倒的にデザイン系
の仕事が多いですが・・・
私が携わっている現代アートの世界では写真表現がかなりの
割合を占めるようになって久しいですが、風景写真を題材に
したもので優れたものと言えば、杉本博司氏の「海景」のシリーズ
やデイヴィッド・ホックニーの連続した時間をコラージュした一連の
シリーズしか思いつきません。
ひと昔前、風景をピンボケ状態でプリントして心象風景的に
見せるパターンが流行ったこともありましたが今は見かけなく
なりました。

もう20年近く前から、現代アート展では油絵と一緒に写真作品が
並ぶようになりましたから、大きな括りで油絵も写真も絵画作品
として認知されるようになっているようです。
その理由は、写真の加工技術の進化とプリントの巨大化ですね。
加工、つまり能動的に描くという行為が絵画との境界を曖昧に
してしまったようです。それと写真は複製できるという意味に於いて
ある種の版画という捉え方もされています。

ただ、美術家の私が外野から写真の世界を見続けていて思うのは
過度な加工などの後処理に頼ることなく、歴然とした写真表現での
秀作を見たいという欲求です。撮る側の内面的な変革でそれは
可能だと思いますし、この世界に写真が生まれてそれほど時間が
経っていないことを考えればまだまだオーソドックスな手法でも
新しい表現の可能性が残されていると思うのです。
そういう思いもあって、どちらかというと美術家の写真よりも写真家の写真に興味を持って静観している状態です。どちらも歴然とした
芸術表現ですからね。

新しい表現と言っても現代アートの世界では一過性のものが多く
なかなか持続できる作家が少ないですが、新しい表現も世間に
認知された瞬間にアカデミックな表現となってしまうことを思うと
常に斬新な印象を持続するには、単に表現形式だけではなく
作者自身の豊かな感性を如何に発露し続けることができるかが
課題なんでしょうね。

村田さんをはじめ、数名の写真家の方々と積極的に交流させて
いただいていますが、皆さんがどのような作品を発表されるのか
今後も楽しみにしております。
長い文章となりましたことお詫び致します。

投稿: ヒロ | 2013年3月 5日 (火) 07時53分

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