銀塩

富士フィルム、4x5クイックロードの生産中止!!

http://fujifilm.jp/information/articlead_0158.html

知り合いから情報として聞いていましたが、正式発表されたようです。

ユーザーは多かったはずなので、この便利な商品がなくなれば、銀塩は慣れはさらに拍車がかかるでしょうね。

実際、この話を聞いて知り合いは銀塩で撮るのをやめると言っていましたし。

銀塩はフィルムもペーパーもどんどん縮小・生産中止が進んでて、他人事とは言えちょっとさびしいですね・・・。良い話は噂ですら聞いたことがありません。

それにしても未だに山で写真撮ってると「やはり写真は銀塩ですか」と同意を求めるように聞かれることが多くなりました。もちろん「いえ、10年以上銀塩は触ってませんが・・・」と答えてますw

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銀塩神話に画素数神話

このブログへのログを見てるとどうも

「銀塩の方がデジタルより一方的に優れてるはずだ!!」

と思ってる人や、

「画素数は高ければ高いほど良い。一億画素なんて絶対に必要!!」

とか思っている人が来ているように見えて仕方がない^^;

まぁ、何を信じようが個々人の自由だし、人に迷惑をかけなければ構わないと思ってます。

ただ、山岳や風景、恐らく一部の天文の人たちは、いまだに銀塩至上主義なんだなと。

銀塩に拘ってる人の良い分を整理すると大抵は「銀塩の方が楽だった」と言うのが根底にある人が多いように思います。そして、「デジタルを理解する能力がない」と言うのが欠点。

考えてみれば、銀塩時代はシャッターを切った後は、現像所へだすだけで現像所がそれなりに仕上げてくれてたわけです。

ポジの増減感なんて、プロラボじゃ当たり前のサービスで無料でやってるところも有りましたから。そう言うノウハウをすべてPCで処理することが出来ず、時代からドロップアウトした人たちが銀塩至上主義を掲げているように思えてしまうんです^^;

年齢が70代・80代でPCなんていじった事がない人なら、判るんです。

でも、20代・30代にも居るんですよね。銀塩至上主義者が。こう言う人たちが理解に苦しむんです。

まぁ、作品を撮る人で理系の人って、有る意味少ないから、こう言う事が起きるんでしょうね。

例えば、美大卒の人が、理系よりPCに強いってイメージはあまりないですし。

かといって、理系の人間で作品が撮れる人って、少ないように思うんですよね^^;

結局、デジタルで作品を作るには、両方の感覚が必要なのかもしれませんね。

その一方、デジタルから写真を始めた人にとって、画素数競争と共に成長してきた影響か、必要かどうかではなく、画素数が上がることが正しい進化だと信じ込んでいるように思えるんです。特に日本人は数字好きですから。

35mmフルサイズで考えると、レンズの解像度は頑張っても5000万画素位が限界。これはスーパーレンズでの話。レンズ1本の値段が50万でも100万でもバンバン売れるのなら・・・ね。現実的な線だとその半分か1/4位なんじゃないだろうか。

ただ、いっそ、一億画素有ると、システム的にLPFが要らなくなるんじゃないかと思うんですよ。だって、そこまでレンズの解像度がないんだから。

LPFはソフト的に実現できるようになり、画素数はレンズ解像度の倍くらいで落ち着くんじゃないか?

などと考えてみたりはするのですが、どうなるんでしょうね^^

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コダック、ついに終焉か?

http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90900001&sid=a5WHRCQI8LDQ

コダックとフジは二大フィルムメーカーでしたが、とうとうコダックは撤退のようですね・・・。

時代の流れなので、速かれ遅かれこうなるとは思っていましたが。

ただ、銀塩は銀塩の良さがあるので、生き残ってほしかったですね。

モノクロがカラー全盛の時代でも細々と生き残ってきたように、銀塩も細々と生き残るだろうと予測していただけに残念です。

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銀塩はスーパーアナログ(オーディオ)に遠く及ばないのか?

高校・大学と実はかなりオーディオにはまっていた時期があって、大学時代にCDプレーヤーが発売されたり、VTRと組み合わせて使うPCMプロセッサーなども発売されていた。

時代はアナログからデジタルへとシフトし始めた頃で、その一方、アナログの可能性を追求しようと、従来のアナログを超えた“スーパーアナログ”と言う言葉と手法がもてはやされた時代でもあった。

私自身、PCMプロセッサーを導入しつつ、スーパーアナログにはまるという、楽しい大学時代でした。スーパーアナログは実質、レコードがターゲットの技術で、より広帯域の再生などを目指していました。

また、技術的にはハイテクよりローテクがもてはやされて、例えば、レコード盤を押さえるためのスタビライザーの中に、“バキュームスタビライザー”と言うのがありました。これはターンテーブルのふちにゴムが着いていて、レコード盤を乗せた後で、間の空気を抜いて真空とし、地球の大気圧そのものを持って重石とする。そういう代物でした。

ターンテーブル自体も軽量化の方向から重量化の方向へ向かい、数キロあるのが普通でしたね。軽いのはそれだけで安物じゃないかとw

そんなターンテーブルを回すモーターは強力無比でなければならず、結果として振動源になってしまう。ならば、その振動を極力伝えないためには、モーターとターンテーブルは糸を輪にしてテンションを持たせて回転力だけ伝わるようにすればいい。また、電源も半端なものではダメなので、バッテリーが良いとか。

一般家庭に供給されているAC100Vは実はかなり汚れているので、AC100Vでモーターを回して、そのモーターで発電機を回して、AV100Vを作り直したほうが音が良いとか。

まぁ・・・レコードがCDに置き換わっていく時代には、そういうことをやってた訳です。

レコード→CDの図式は銀塩→デジカメと同じように良く扱われます。

でもね・・・銀塩保守派の人たちって、上記したようなことをやったことが1つでもあるのかな?シノゴやバイテンに行く?たったのそれだけ???

オーディオでのアナログ保守派はスーパーアナログと言う一つの時代を築き上げたのは間違いないと思います。銀塩にそういう時代が有ったか?それともこれから来るのか?そのどちらも無いように思うのは私だけでしょうか^^;

レコード時代の保守派って保守するために新しい時代を開いちゃった行動力があったけど、銀塩の保守派ってただ時代の移り変わりのスピードが遅くなってくれることを他力本願的に祈ってるんじゃないかと。

もちろん、銀塩派にも先進的な人も居ますが、大雑把に捉えるとこんな傾向が有るんじゃないかと^^;

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フジフィルム

現在、フジフォトサロンで写真展開催中ですが、私の作品は銀塩での発表です。

私が拘ってそうしているわけではなく、会全体として、銀塩だけで発表と言うスタンスです。

私が銀塩派なら全然構わないのですが、現在はデジタルに完全移行しているので、個人的には非常に不満です。

ただ、会の大御所たちはフジフィルムからフィルムの供給をしてもらっている手前、フィルムの存続が危ういフジフィルムの印象を悪くしないためには、銀塩で発表して、少しでも媚を売ろうというのが見え見えです。

この件はだいぶ私と大御所でデジタルでの発表をすることについてやりあったのですが、銀塩でなければダメなら出展しないと言ったのですが、それすら却下(会員の人数が少ないうえに、力のある写真を出せる人が殆ど居ないため)。

まぁ、私としても会が無くなってしまっても困るので、苦渋の決断で出したわけです。

で、私の予想通り、来る人全員が私の作品はデジタルだと信じてるわけです。それが銀塩だというのは、私にとって、大金をはたいてイメージダウンをするという、私の予想通りの展開となりました。

まぁ、そんな余裕は本来ないので、考えないといけないですね・・・。

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写真展、2日目終了

会場に置いたデジタルフォト。かなり評判です。

来る人来る人、びっくりしてるのですが、逆にいえば、山岳写真を撮る人は写真雑誌を全く読まないって証明でもありますね。

私は山岳写真家なので、専門誌である「山岳雑誌」と「写真雑誌」どちらにも載って一人前だと思ってます。

例えて言うならば、これを書いている今、2010年4月号の「山と溪谷」および「デジタルフォト」にそれぞれ私の写真は掲載されています。

山岳写真を撮るならば、どうして両方の専門誌に目を通さないのか?私には不思議でしょうがないんですよね。

目を通さないってことは、自ら上達を拒んでいる訳で・・・。

今日、会場に来た知り合いの方も私から「上達する方向じゃなくて、下手になる方向に、猛ダッシュで努力してるのが理解できてる?」と半分厭味で話をして、その理由を話したら、本人も「言われてる意味が、すごく良くわかった」って言ってました。

その人はホワイトバランスをオートで撮るのが正しいと頭から信じて疑っていなかったんですが、朝焼けや夕焼けが思うように撮れないのは腕のせいだと信じてたみたいです。ホワイトバランスがオートなので、あまり赤くならないよう補正が掛っているんですが、本人はより赤く撮ってくれるのがオートだと信じてたわけです。

まぁ、なんというか、私からしたら、お粗末以下というか・・・。げんなりするというか・・・。そういう人が一番幸せなのは写真をやめることじゃないだろうか???

銀塩時代にホンの僅かな発色の違いを気にしてた人たちが、デジタルで撮り始めたとたん、滅茶苦茶な色の自家プリントを平気で出す神経が私にはどうしても理解しがたいのですが、どうもそれが世の中の常識のようです・・・。

そしてそんな人たちが言うのです「デジは全然駄目だね。やっぱ銀塩だよ」と・・・。

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