銀塩神話に画素数神話
このブログへのログを見てるとどうも
「銀塩の方がデジタルより一方的に優れてるはずだ!!」
と思ってる人や、
「画素数は高ければ高いほど良い。一億画素なんて絶対に必要!!」
とか思っている人が来ているように見えて仕方がない^^;
まぁ、何を信じようが個々人の自由だし、人に迷惑をかけなければ構わないと思ってます。
ただ、山岳や風景、恐らく一部の天文の人たちは、いまだに銀塩至上主義なんだなと。
銀塩に拘ってる人の良い分を整理すると大抵は「銀塩の方が楽だった」と言うのが根底にある人が多いように思います。そして、「デジタルを理解する能力がない」と言うのが欠点。
考えてみれば、銀塩時代はシャッターを切った後は、現像所へだすだけで現像所がそれなりに仕上げてくれてたわけです。
ポジの増減感なんて、プロラボじゃ当たり前のサービスで無料でやってるところも有りましたから。そう言うノウハウをすべてPCで処理することが出来ず、時代からドロップアウトした人たちが銀塩至上主義を掲げているように思えてしまうんです^^;
年齢が70代・80代でPCなんていじった事がない人なら、判るんです。
でも、20代・30代にも居るんですよね。銀塩至上主義者が。こう言う人たちが理解に苦しむんです。
まぁ、作品を撮る人で理系の人って、有る意味少ないから、こう言う事が起きるんでしょうね。
例えば、美大卒の人が、理系よりPCに強いってイメージはあまりないですし。
かといって、理系の人間で作品が撮れる人って、少ないように思うんですよね^^;
結局、デジタルで作品を作るには、両方の感覚が必要なのかもしれませんね。
その一方、デジタルから写真を始めた人にとって、画素数競争と共に成長してきた影響か、必要かどうかではなく、画素数が上がることが正しい進化だと信じ込んでいるように思えるんです。特に日本人は数字好きですから。
35mmフルサイズで考えると、レンズの解像度は頑張っても5000万画素位が限界。これはスーパーレンズでの話。レンズ1本の値段が50万でも100万でもバンバン売れるのなら・・・ね。現実的な線だとその半分か1/4位なんじゃないだろうか。
ただ、いっそ、一億画素有ると、システム的にLPFが要らなくなるんじゃないかと思うんですよ。だって、そこまでレンズの解像度がないんだから。
LPFはソフト的に実現できるようになり、画素数はレンズ解像度の倍くらいで落ち着くんじゃないか?
などと考えてみたりはするのですが、どうなるんでしょうね^^
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